翻訳アメコミ(主にマーベル)のレビュー・感想を置くところ。オタクが奇妙なテンションで推しを語ったりするよ! ていうかそれしかしてない! 絶版モノも扱ってます。ネタバレがめっちゃあるのでお気をつけください。
キャプテン・アメリカは、またもや悩んでいます。特に、この第三巻では、悩みかたが、ますますひどくなっていくようで、これでは、とてもスーパーヒーローは務まらないのではないかと心配になってしまうほどですが、これには理由があります。
第三巻におさめられたエピソードは、本国版の1968~9年に描かれたものですが、いまからちょうど10年まえのアメリカは、まさに混乱の時期でした。
60年代の終わりは、ベトナム戦争への批判がたかまり、それとともに、学生たちが大学当局に疑問をなげかけ、学園騒動がひろがっていきます。
ケネディ大統領につづいて、マルティン・ルサー・キング師の暗殺……そんな、アメリカの屋台骨をゆさぶるような事件のなかで、キャプテン・アメリカという、過去からよみがえった英雄は、すっかりとまどってしまうのです。
いま読み返してみると、これも、ひとつの時代の記録になっていることがよくわかります。マンガだけに、アメリカ人の気持ちが、正直にあらわれているという気もします。
しかし、この悩みがキャップを生きさせているわけでもありますから、シールドのニック・フューリーがせせらわらおうと、恋人のシャロンがあいそをつかせようと、キャプテン・アメリカの<悩み節>は、まだしばらくはつづきそうですね。

この「キャプテン・アメリカ」第2巻は、ずいぶんぜいたくな内容です。
まず、凝りに凝った画面構成、しゃれたレイアウトを得意とする当時21際のコミック・ブック界の異端児、ジム・ステランコが描いたエピソードが、すべて収録されています。それに、もちろん、キャップの生みの親で、ステランコが尊敬してやまず、おおいに影響を受けた大先輩、ジャック・カービィによる1編、そして、ジョン・ロミータ、ジョン・ブシーマ、ジーン・コーランと、そうそうたる画家の手によるエピソードがつづくのですから、さながら、マーベル主力画家のオール・スターが勢揃いした観があります。
この「キャプテン・アメリカ」第2巻は、ジム・ステランコの描いたストーリーから始まります。
これは、アメリカ版第110号に相当しますが、そのあとステランコは、第111号および113号と全部で3号分の「キャプテン・アメリカ」を描きました。
そして、それが、彼が手がけたキャップのシリーズのすべてなのですが、その3号分は、すべてこの第2巻のなかに収録されています。
なお内容では、宿敵レッド・スカルとの対決がつづきますが、私には、敵同士でありながら、キャプテン・アメリカとレッド・スカルのふたりは、ふと、兄弟のように似ていると思う瞬間があります。
どちらも、第二次世界大戦からの生き残りで、かたや、ヒトラーの遺志を継いで、ナチス再興の執念に燃え、かたや、そうはさせじと星条旗の理想のもとに対決する。
どちらも、同じ大戦からの過去をひきずっているあたり、ちょっと時代錯誤的だし、たがいにむきになるほどおかしい……。
このふたりは、たがいにののしりあいながら、おたがいに過去にとりつかれた存在として、こころの底では同情しあっているのではないかという気さえするのです。
キャップと彼との対決は、兄弟げんかみたいなものかもしれません。
(引用元:光文社 マーベルコミックス キャプテン・アメリカ2)

本書の最後に収めてあるキャップ誕生のエピソードからもおわかりのように、ステーブ・ロジャース青年は、天才科学者がつくった特殊な血清のおかげで、驚くべき強じんな肉体の持ち主として再生するのだが、科学者がナチスのスパイに殺され、血清は二度とつくれなくなり、結局彼ひとりが、最初にして最後のスーパー兵士ということになってしまう。
なお、タイムリィ社版の「キャプテン・アメリカ」は、1941年から1949年まで続き、中断された。そしてキャップは1964年発行のマーベル版「アベンジャーズ」第4号のなかで氷づめになって海中を漂っていたのを、アベンジャーズの潜水艦に発見され、現代に蘇ったことになっているが、じっさいには彼が仮死状態だったころの1954年にもコミックブックとなって活躍している。

ファンタスティック・フォーの4人は、いまおそらく、世界で一番人気のあるスーパーヒーロー・チームだろう。
彼らが登場したのは1961年で、これが、いわゆるマーベル・コミックスによる<コミック・ブック>の革命の第1弾となったのだった。彼らやスパイダーマンなどが、アメリカのコミックスの流れを変えたのである。
宇宙船を浴びて、それぞれちがった超能力を持つようになったリード・リチャーズ(彼の顔だちと髪の感じは、いまは亡きロバート・ケネディに似ている)、その婚約者のスー・ストーム
その弟で短気なティーン・エイジャーのジョニー、そしてフットボール選手として鳴らしたベン・グリムは、はじめのころのエピソードでは、共通のコスチュームを持たず、ふだん着のままで活躍していたものだ。
リーダーのリードが、天才科学者なので、次つぎと新しい発明や装置が登場することも、このコミックスを、派手なものにしている。空を飛ぶファンタスティ・カーも、改良を重ねて現在のは新型になっているし、そうしたメカニズムを駆使して、宇宙にとびだし、異星人と戦ったりするのだから、はなしのスケールが大きくなる。
それだけに、このマンガからは、新しいキャラクターが次つぎと生まれてきた。宇宙魔人のようなギャラクタスや、高貴なシルバー・サーファー、超知性のウォッチャーなど、いずれもSF冒険コミックスのはばを広げたわき役たちだ。
ファンタスティック・フォーは、ひとつの家族みたいなものだ。家族の歴史のなかには、悲しみも喜びもある。それをきっと、読者であるあなたも、共有することになるだろう。
(引用元:光文社 マーベルコミックス ファンタスティック・フォー1より)

